獣医師不足と動物福祉の危機
調査レポート

獣医師不足と動物福祉の危機

地方の動物医療アクセス問題と保護動物への影響を検証する

9分監修:寺田カーナ2026.04.07

日本には約4万人の獣医師がいる。農林水産省の統計によると、2022年時点の届出獣医師数は39,981人で、このうち小動物臨床(ペットの診療)に従事する獣医師は約16,000人である。一見すると十分な数に思えるが、その分布を地域別に見ると、深刻な偏在が浮かび上がる。

獣医師の地域偏在——データが示す現実

東京都の小動物臨床獣医師数は約2,800人で、人口10万人あたり約20人。一方、秋田県は約80人で、人口10万人あたり約8人に過ぎない。この2.5倍の格差は、動物医療へのアクセスの不平等を意味する。地方では最寄りの動物病院まで車で1時間以上かかる地域も珍しくない。

地域別 人口10万人あたり小動物臨床獣医師数

20.1頭
東京都
15.3頭
神奈川県
14.8頭
大阪府
12.7頭
全国平均
10.2頭
北海道
9.1頭
鹿児島県
8頭
秋田県

出典:農林水産省「獣医師の届出状況」2022年

地方の動物病院が直面する経営危機

地方の動物病院は、複合的な経営課題に直面している。第一に、人口減少に伴うペット飼育頭数の減少。日本ペットフード協会の調査では、犬の飼育頭数は2008年の1,310万頭をピークに減少を続け、2024年には684万頭まで落ち込んでいる。特に地方では減少が顕著で、患者数の減少が経営を圧迫する。

第二に、後継者不足。地方の動物病院は院長の高齢化が進んでおり、後継者が見つからずに廃業するケースが増えている。日本獣医師会の調査では、開業獣医師の平均年齢は55歳を超え、60歳以上が全体の約3割を占める。若い獣医師は都市部の大規模病院や専門病院を志向する傾向が強く、地方への就職は敬遠されがちである。

0%

開業獣医師の60歳以上の割合

出典:日本獣医師会調査(2023年)

保護動物の医療への影響

獣医師不足は、保護動物の医療にも深刻な影響を及ぼしている。保護施設の現実を見ると、多くの動物愛護センターや保護団体は、限られた獣医療リソースの中で活動している。自治体の動物愛護センターに常勤の獣医師がいない地域もあり、保護動物の健康管理や不妊去勢手術が滞る原因となっている。

特に深刻なのは、TNR活動における獣医師の確保である。野良猫の不妊去勢手術は1頭あたり15〜30分程度の手術時間だが、一度に数十頭を処理する必要がある。通常の診療の合間にTNR手術を行う獣医師の負担は大きく、手術を引き受けてくれる獣医師が見つからないという声は全国の保護団体から聞かれる。

保護団体が抱える課題(複数回答)

資金不足
78
人手不足
72
獣医療アクセス
58
保護スペース不足
55
譲渡先の確保
48

出典:全国動物保護団体アンケート(2024年、n=312)

獣医師の働き方と離職問題

獣医師不足の背景には、獣医師の過酷な労働環境もある。小動物臨床獣医師の平均労働時間は週50時間を超え、夜間・休日の緊急対応も求められる。勤務医の平均年収は約500〜600万円で、6年間の大学教育と国家試験を経た専門職としては必ずしも高くない。結果として、臨床を離れて製薬会社や公務員に転職する獣医師も少なくない。

特に女性獣医師の離職率が高い。獣医学部の入学者の約半数が女性であるにもかかわらず、出産・育児を機に臨床を離れるケースが多い。復職支援制度が整っていないことが、実質的な獣医師不足を加速させている。

テクノロジーによる解決の可能性

獣医師不足の解決策として、テクノロジーの活用が注目されている。オンライン診療(遠隔診療)は、地方の飼い主が都市部の専門医にアクセスする手段として期待される。2023年の農林水産省のガイドライン改定により、獣医師によるオンライン相談の法的位置づけが明確化された。

また、電子カルテシステムの普及は、獣医師の業務効率化に貢献する。紙カルテからの移行により、診療記録の管理・共有が容易になり、複数の獣医師による連携診療が可能になる。さらに、AIを活用した画像診断支援ツールは、経験の浅い獣医師の診断精度を向上させる可能性がある。

人材確保に向けた取り組み

獣医師の地域偏在を解消するため、いくつかの取り組みが始まっている。北海道や鹿児島県では、獣医学生向けの奨学金制度を設け、卒業後に一定期間地元で勤務することを条件に学費を支援している。また、獣医師の専門医制度の充実により、地方でもキャリアアップが可能な環境を整備する動きもある。

動物病院の経営支援も重要である。個人経営の動物病院が多い日本では、経営ノウハウの共有や、複数の病院による共同経営(グループ化)が、地方の動物医療を維持する鍵となる。大手動物病院グループによる地方病院の承継も、一つの解決策として注目されている。

動物福祉の観点からの提言

獣医師不足は、単なる医療アクセスの問題ではなく、動物福祉の根幹に関わる課題である。保護動物の適切な医療、TNR活動の推進、マイクロチップの普及——これらすべてに獣医師の関与が不可欠である。動物愛護法の次回改正では、獣医師の確保・配置に関する規定の強化が議論されるべきである。

動物医療の地域格差を解消するためには、テクノロジーの活用、人材育成・確保策の強化、そして動物病院の経営基盤の安定化を三位一体で進める必要がある。世界のデータを見ると、動物福祉先進国では獣医師の社会的地位と待遇が日本より高い傾向にある。獣医師という職業の魅力を高めることが、長期的な解決策の基盤となるだろう。

参考文献・出典

  1. [1]農林水産省「獣医師の届出状況(届出獣医師数)」2022年リンク
  2. [2]日本獣医師会「小動物臨床獣医師の勤務実態調査」2023年リンク
  3. [3]日本ペットフード協会「全国犬猫飼育実態調査」2024年リンク
  4. [4]農林水産省「愛玩動物に対する獣医療提供体制の在り方に関する検討会」報告書, 2023リンク
  5. [5]WSAVA「Global Veterinary Workforce Report」2023リンク
寺田カーナ

記事監修

寺田カーナ

獣医師 / 株式会社Buddies CEO

東京大学農学部獣医学専修卒。臨床獣医師・ペット栄養学講師。タイ・ベトナムでの獣医ボランティア、ウガンダ国立遺伝資源研究所でのリサーチフェローを経て、保護犬の犬材派遣会社・株式会社Buddiesを設立。女性起業チャレンジ大賞グランプリ受賞。NHK『おはよう日本』出演。

プロフィールを見る →

データを知った、その先へ

AnyMallアプリでは、全国の保護犬猫の情報を掲載しています。 事実を知ることが、行動を変える第一歩です。

AnyMall で保護犬猫を探す